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日本には約65万人の在日朝鮮・韓国人が住んでいます。 そのうち83.5%にあたる約55万人は、かつての日本の朝鮮植民地統治の結果、渡日を余儀なくされ、あるいは強制的に日本に連れてこられ、1945年祖国解放後も引き続き日本に住むようになった人たちか、それらの人たちの子孫として日本で生まれ育った在日朝鮮・韓国人です。
このような歴史的事情を有する在日同胞は祖国解放と同時に、植民地統治時期に奪われた母国語や母国の文字や文化を取り戻したい一念から日本各地に朝鮮学校を建て、子供たちに対する民族教育をはじめました。
現在朝鮮学校は幼稚園から初・中・高級学校、大学校にいたるまで約120校が日本各地で運営され、日本の学校教育と同じ6・3・3年の全日制で、教育内容も同一水準にあります。 その教育目標は、在日朝鮮人としての民族的アイデンティティを持ち、生きる力を育み、祖国と日本、世界で活躍できる人材を育成することです。 母国語である朝鮮語をはじめ朝鮮の歴史・地理・社会・民族文化・伝統などの科目に力を入れる一方、理数科目、日本語・英語などの言語科目、日本と世界の歴史・地理・社会など幅広い科目を教えています。 特に言語教育に重点を置きバイリンガル教育に力を注いでいます。
私たちの民族教育はすでに半世紀以上の歴史を歩んできました。 1945年8月15日、祖国解放を迎えた在日同胞はすぐさま、民族性を取り戻すべく、子供たちに朝鮮の言葉と文字を学ばせることに取り掛かりました。
こうして、日本各地で「国語講習所」として始まった民族教育は、「在日朝鮮人連盟(朝連)」の結成により発展、組織化・体系化されました。 朝連は各地の「国語講習所」を1946年4月から「初等学院」に改編し、同年10月からは中等教育も開始しました。 当時、日本各地に初等学院525校、中学校4校が設立されました。 ※在住外国人社会では類例のない整然とした学校教育体系を確立
−1946年に小・中学校 −1948年に高等学校 −1956年に大学校
本校(千葉朝鮮初中級学校)は1946年9月13日に千葉市南町(現在JR蘇我駅から徒歩10分ほどにある市営団地付近)で「千葉朝鮮初等学院(生徒数は318名)」として始まりました。
1948年に入り連合軍総司令部(GHQ)と日本政府は、民族教育を力で弾圧しにかかりました。 同胞たちは学校を守ろうと激しく抵抗しましたが、1949年10月、朝連の強制解散直後に「朝鮮学校閉鎖令」が下されました。 千葉県においても「国語講習所」から始まった7校の初等学院(千葉、船橋、柏、木更津、茂原、横芝、館山)はすべて閉鎖され、生徒たちは日本学校に強制編入されました。 しかし、同胞たちはその後も様々な形で民族教育を守り続けました。
民族教育は、千葉(蘇我小学校)と船橋(船橋小学校)で放課後朝鮮の子供たちを集めて、「民族学級」という形で朝鮮の言葉と文字を教えていきました。 同胞たちは「知恵のある人は知恵を、力のある人は力を、お金のある人はお金を」の呼びかけに一致団結し、1951年9月再び失った校舎を建て直し、千葉朝鮮初中級学校は自主学校として再出発しました。
1955年「在日本朝鮮人総聯合会(総聯)」が結成され、それ以後総聯は朝連時代からの様々な形態の学校を1956年4月から自主運営の朝鮮学校として体系化し、民族教育の新たな発展の道を開きました。 その財政的基礎となったのは、1957年に祖国から初めて贈られた教育援助費と奨学金でした。 その後、1968年には東京都小平市にある「朝鮮大学校」が認可を取得し、1975年までにはすべての朝鮮学校が各種学校としての学校法人認可を得ました。
本校は1966年に学校法人千葉朝鮮学園として認可を得ました。
現在、朝鮮学校の民族教育は時代と同胞社会のニーズに合わせて民族教育を発展させていく一方、その権利を守り拡大し、不当な制度的差別を是正させ正当な地位を勝ち取る努力を精力的に推し進めています。
※朝鮮学校の歴史とその歩みについては 『朝鮮学校の戦後史(1945〜1972)』(社会評論者:金徳龍)をご覧ください。 |
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